烟台師範学院留学体験談1

私と烟台

宮本さん近影 宮本さん
(現在大分県在住)

留学期間
1999年9月頃〜2001年8月頃

私と烟台 1

クール烟台をご覧の皆さん、こんにちは!私は中国大好きです。
1999年から2001年まで世紀を跨いで烟台師範学院で留学生生活を体験しました。
大分県出身の日本人ですが、烟台に居る間にどの国かと問われると、烟台人です、と応えていました。
中国人と言いたいのですが、中国語が聞き取れず話せずで誤魔化しようがなかったと言う事です。

1999年8月23日、早々と烟台入りし、留学生楼は夏休み中とあって学生の少ない時期でラッキーと言うべきか一階南側の最高のお部屋に入ることができました。
10畳ほどの部屋でベットの上にカバーのかかった布団、枕がおいてありました。机の上には電気スタンド、本棚、衣類ロッカー、テレビ、冷蔵庫と至れり尽くせり、一日6.5ドルでした。
留学生楼は大きな建物で玄関から入ると大ホール、友諠商店という売店もあり受付カウンターにはいつも2〜3人の可愛らしい小姐がいました。
この2階3階が私たち留学生の学ぶ教室です。ホールから奥に廊下でつながった地下3階、地上5階の建物が宿舎です。東側が留学生宿舎、西側が招待所、階段で区切られていました。
この招待所、中国人にとっては安宿ではなく、外国人も誰でも泊れるわけではありません。

私の学習するのは中国語研修科で、年間の学費が1600ドルと少々の教材費が必要です。
日本を出る時、日本円と円建てのトラベラーズチエックを持って出ましたが学費、教材費、宿舎費一年分を日本円で前払いしました。これで帰国までOKです。
あとは食べる事です。中国では、絶対に自分で料理しない、するものか!と思っていました。そこで毎日毎度、お部屋を出てホールを抜け歩いて一分で食堂へ。これまた可愛い餐廰小姐がトレーを持ってニイハオ!、、、、、当時は烟台ってどうしてこうも美人が多いんだろうと思ったものでした。
私たちは可愛い小姐に、たくさん並んだ料理の前であれこれ指差してトレイにのせてもらいお金を払います。
大きな御鉢やボールの料理は15〜6あり、野菜料理一元、魚肉料理二元、ご飯一元がおおよその目安。朝のおかゆなど安くて一日10元も有ればおつりがきました。
この食堂、このあたりではちょっとしたものらしくしょっちゅう結婚式をやっていました。車で乗り付けて大、小宴会をしたり、ちょっと食事にと外部から来るお客さんも相当ある様子でした。
中国の結婚式は昼12時から始まる様で、食堂の前はアーチを立てたり、赤いお祝紙を貼りつけたり、式を挙げる幹事さんたち精一杯飾り付け、11時頃から頼んだ楽隊がやって来てブカブカにぎやかになります。
12時に盛装した新郎新婦がアーチをくぐり10段ほどの石段を登り始めると楽団のウェディングマーチは一段とボリュームが上がりクラッカーや金銀五色の紙ふぶきなどの攻撃が始まりとても賑やかな始まりです。

売店は何でも揃っています。ただし友諠商店だから商品の品質よし値段高し。
部屋には電話もあり快適。ただし公衆電話を持ってきたような代物で、まずカードを買うがこの電話機には磁気の読み取りソフトがついて無いから暗証になっているカードの番号をプッシュ。ところが数字が20桁余りと多いのでしょちゅう間違えます。日本へかけると呼び出し音開始と同時にカード残高のカウントダウンが始まるのです。

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